日光街道でしょう!

杉江松恋が日光街道140kmを歩く!! 日光街道でしょう!
2015年03月05日 更新

第4回 杉戸~幸手:5.7km、幸手~栗橋:8.8km

 2014年 6月30日、私は東武スカイツリー線の東武動物公園駅前にいた。時刻は8時半過ぎ。ようやくおさまってきたものの、まだ頭痛がする。二日酔いなのである。前日は、主催している読書会が荻窪のベルベットサンというライブハウスであって、深更までその打ち上げであった。とてもではないが日光街道を歩くような体調ではないのだが、前々から決めていたのだからしかたない。
 高架になっている駅の階段を下りる。上野とか多摩の動物園に慣れていると若干びっくりするのだが、東部動物公園駅の近くには東武動物公園はないのである。バスに乗ってかなり行かないとたどり着けない。これなら別に動物公園を駅名にしなくてもいいとおもうのだが、沿線住民のみなさんはどう思っているのだろうか。
 階段を下りたところにドトールがある。おそるおそるドアを開けてみると、中央のテーブルに見覚えのある後姿があった。若干怒っているようにも見える。
 気配を感じたのか、振り向いた。
「おはようございまーす」
 ほっ、怒ってないみたいだ。声の主はベルベットサンの店長をしている長谷川さんだ。昨日、読書会後の打ち上げで日光街道ウォークのことを話し、もし暇だったら一緒に行かないか、と誘ったのである。誘ったのはいいのだが……。
「あの、私、今日何時待ち合わせって言いましたっけ。まさか7時じゃないよね?」
「ええ、8時でした」
 それでも、30分の遅刻である。
「ごめんなさい。起きたら7時になってて『いけねっ』と思って飛び出したんだけど、この時間になってしまって」
 実は前夜けっこう酔っぱらっていたもので、長谷川さんと約束したかどうかも忘れてしまい、あわよくばこのままサボって寝てしまおう、と考えたことはここだけの秘密だ。
「ええ、それはいいんですけど」
 長谷川さんは何か言いたそうだ。
「杉江さんが遅刻してくるのはいいんですけど、なんでこの原稿、こんな時期にアップされてるんですか。もう、2015年の3月なんですけど。半年以上経ってるじゃないですか」
 お、いきなりメタレベルで文句を言うね、君は。
「いやー、実は7月になったら書き下ろしの仕事が入っちゃって急に死ぬほど忙しくなってしまって。歩く時間はともかく、原稿を書いてる余裕が完全になくなっちゃったんだよね。それで、とりあえず書き下ろしが一段落してから手をつけようとして、歩きだめだけしておいたんだけど。さらに不測の事態が持ち上がってしまって」
「なんですか?」
「この連載の写真、携帯電話についてるカメラで撮ってたんだけど、このあいだタクシーの中にそれを置き忘れちゃったんですよ。一部はパソコンに移してあったんだけど、この回の写真はパー」
「あちゃあ」
「というわけで、長谷川さんの写真はほとんど残ってません! ここに掲載する写真は、追加取材で撮影したものですから。悪しからずご了承ください」
「それ、アリですか……」
 すみません。アリということでご勘弁を。今度、うまい棒あげるから。
 というわけで、気を取り直して出発です。
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 前回は昭和の匂いを色濃く残した杉戸宿に到着したところで終わっていたが、この東武動物公園駅は杉戸町ではなく、となりの宮代町に存在する。駅を出て真っ直ぐ歩くと古利根川にかかる橋がある。それを渡ったところが杉戸町なのだ。さらに進むと、本陣跡地前という交差点に差し掛かる。その交差している道が日光街道である。右折が元来た粕壁宿、進行方向は従って左である。今は痕跡がまったくないが、本陣跡とあるからにはこのへんが宿場町だったはずだ。ガイドブックを見ると本陣跡地の標杭が電柱のそばにある、としてのに見当たらない。二回目に来たときも探してみたがやはり発見できなかったので、おそらくは現存しないのだろう。少し行くと道標があるので、本陣跡の代わりにそこで記念写真をパチリ。
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 その先で道は右に折れる。あとはしばらく真っ直ぐ歩くだけだ。
「あれ、おもしろいね」
「東京駅食堂って、ここ東京駅じゃないですよね」
「東京駅に弁当を下ろしたりしてたのかな」
 あとでネットで調べたところ、創業者が駅員として働いていたことがあるから、とのことだった。
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 その向かいに宝性院というお寺がある。現在は少し離れたところにある杉戸小学校は、もともと明治時代にこのお寺を仮の校舎として設立された。日本料理のノブ・トーキョーを経営する松久信幸氏はこの小学校の出身だ。
 さらに真っ直ぐ行くと、道は国道4号線と合流して一気に広くなる。広い駐車場を備えたレストランや巨大パチンコ店などがぽつん、ぽつんと点在するおなじみの郊外の風景だ。杉並区の生まれで町っ子の長谷川さんにはこういう風景が珍しいのだとか。
「地図によると、ここからはしばらく真っ直ぐ歩くしかないけど、大丈夫?」
「はい、スニーカー履いてきましたから。いつもの靴で来ようとしたんですけど、ミエちゃん(長谷川さんの彼女)に『馬鹿じゃないの。そんな靴で行ったら絶対足痛くなるよ』って言われて、靴箱の奥から引っ張り出してきました」
「古そうだね」
「もう、何年も履いてないですよ」
 越谷・粕壁間もそうだったのだが、日光街道ではとにかくひたすら真っ直ぐ歩くしかない道によく出くわす。その間は店の看板でも眺めているしかないのである。街道ウォークの9割はそういう道を歩くことに終始すると言っていい。
 しばらく歩くと、ようやく道の右側に見るべき場所が現れた。大島交差点を右に入ったところに稲荷神社があるのだが、そこに恭倹舎という建物が保存されているのだ。1755(宝暦5)年にこの地で生まれた大島有隣(うりん、と読む)が設立したもので、大島は石田梅岩が始めた心学を学んだ人だった。大島は同郷で同い年の関口保宣と1785(天明5)年にこの地に戻り、恭倹舎を設立して心学普及に努めたのである。
 近世から近代にかけての日本は驚くべき識字率の高さを保っていたが、こうした教育施設があったからこその話である。大島と関口は後に江戸に戻り、生涯を教育活動に捧げた。
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 この大島交差点の先が東武線の杉戸高野台駅前になり、さらに行くと日光街道は国道4号線から分岐する。長谷川氏と私は話に熱中しすぎてうっかり通りすぎ、500メートルばかり戻る羽目になったが、ホンダの展示場が目印なのでお間違えなきよう。分岐した先で東武線を踏切があり、道が斜めになっているので少し心配になるが、元の国道4号からあまり離れすぎない方向に歩く道が正しい、と覚えておくといい。このへんから日光街道第6の宿場がある幸手市である。
 踏切を越えてしばらくすると道の右側に公民館があり、前には道路整備の際に移設されてきた道路元標がある。この石標が置かれていた石井酒店前が、今から向かう場所である。
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 道をさらに進み、建設中の圏央道の下をくぐった先でそのT字路に出る。しかし突き当たった先は石井酒店ではなく、ベルクというスーパーの大きな店舗になっていた。
「酒屋のおっちゃんが、いっちょやったれ、ってスーパーに変えたんですかね」
 と長谷川氏。
 この場所の何が大事なのかというと、日光街道と日光御成街道との追分(分岐点)だからなのである。
 日光御成街道は将軍が日光参拝のときに用いる道で、最初は中山道に入り、江戸の本郷追分からそれて、岩淵(東京都北区)、川口(埼玉県川口市)、鳩ヶ谷(同)、大門(さいたま市)の各宿を経てこの追分に至る。日光街道ウォーカーとしては、いずれは歩かなければならない道である。
 特に道標などはないが、説明版があるのでその前でパチリ。
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 ここからは元来た道を右折する形で歩くことになる。道の左側には神宮寺。源頼朝が鷹狩りの際に立ち寄ったという伝説があるお寺だ。それ以外にも寺社が増えてきて、少しずつ街道っぽさが増してくる。
 しかし、われわれが発見し、興奮したのはそうした街道の風情とはまったく方向性の異なる物なのであった。
「あ、あれはなんだ!」
 と探検隊風に一応驚いてみる。
 そこにあったのは、上にランタン風の電灯を頂いた一見普通の街路灯であったが、柱の目立つところに街道の鄙びた風情にはそぐわない文字とイラストが誇示されていたのであった。
 らき☆すた。
 にっこりと微笑む少女。
 実はこの幸手市は、宿場町としても有名であるが、近年では漫画『らき☆すた』の主要舞台になったことで、作中に出てくる鷹宮神社のモデルである鷲宮神社(埼玉県久喜市)と共に聖地巡礼の対象となっているのである。鷹宮神社の宮司の娘が、柊かがみとつかさの双子姉妹、幸手に住んでいるのが主人公であるオタク少女・泉こなたなのである。なんでそんなことを知っているのかといえば、私がファンだからだ。『らき☆すた』は漫画も人気だったが、特に2007年にアニメ化されてからそれが爆発した。鷲宮神社の参拝客が急増したことはニュースになってよく知られている。
 この幸手市は作者の美水かがみの出身地でもあり、市役所は「地元の名士」として泉一家(お母さんが無くなって、こなたと父のそうじろう、従妹の小早川ゆたかの3人が暮らしている)に特別住民票を交付するという粋な計らいを見せた。
「というわけで今日のメインイベントは、市役所にいってその特別住民票を発行してもらうことです」
「え、もらえるんですか」
「一通、300円だけどね」
「わかりました。ここまで来たからにはもらいに行きましょう!」
「よし。全国からやってくるアニメファンに負けないよう、我々も堂々と市役所を目指そう」
「というか、市役所を目指す時点で、地元の人たちも我々のことを『らき☆すた』好きのアニメファンだとしか見ないのでは……」
 見ると、街路灯のほとんどに「らき☆すた」のキャラクターが描かれている。アニメオリジナルキャラクターである白石みのるまでちゃんといる。いや、白石みのるは実在する声優なのだが。
 せっかくなので、何枚か記念撮影もしてもらった(下の写真は2015年に改めて撮り直したもの)。街には日光街道の一部であることを示す標識と、らき☆すたの聖地であることを誇るフラグとが共存しているのである。
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 突き当たりまで進むと道はゆっくりとした上り坂になっている。ここからが幸手宿なのだが、道幅といい、処々に残された古い家並みといい、いかにも宿場町という風情だ。
「おお、なんだか観光旅行に来た気分になってきました」
「だよねー」
 宿場の入口ともいえる神明神社の前を過ぎると、道の左側に小さく囲われた場所がある。明治天皇がこの地を訪れたことを示す行在所碑と、火の元などに気をつけるように注意を促した当時の高札が保存されているのである。その向かい、街道の右側には岸本家住宅がある。国の有形文化財に指定されている、江戸時代末期の建築だ。中はカフェに改装されていて、街道歩きの疲れをここで癒すことができる。
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 古い建築物で有名なのは酒屋として現在も営業している永文商店だ。ここには横丁鉄道、いわゆるトロッコがある。商品を運搬するためのもので、敷地の奥へと続いていく軌道が美しい。その軒先には、古い電話番号表示の真鋳札が、当時のままに残されていた。
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 幸手は「幸せな手」と書くだけに、「手」を市のシンボルにしている。歩いている途中に、腰の高さぐらいのプレートが延々と続いている道があった。市では一年に活躍した人を顕彰する試みを続けているそうで、その手形が残されているのであった。
 見ていったら野茂英雄のものがあったので写真を撮る。肩書がまだ「プロ野球近鉄バッファローズ投手」となっていて時代を感じさせられる。
 幸手市の「手」へのこだわりは徹底していて、このあと訪れる市役所前にも真っ赤な左手のモニュメントが設置されていた。
「シュールリアリストの彫刻で手を扱ったものが多いんですけど、左手が多いんですって。自分の手を見ながらデッサンするからでしょうね」
 と日本大学芸術学部出身の長谷川さんが豆知識を披露する。
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 幸手市役所は、街道を東に逸れた先にある。そこを訪問するために歩いていると、途中でお祭をやっていた。寄り道をして、お参りする。それは浅間神社の「初山」という神事で、産まれてきた子供の初参りなのであった。抱っこされた赤ちゃんがたくさんいて、額に朱印が押されている。それがお参りをしたという証になるのだろう。境内には屋台が出ていて、なにやらいろいろ売っていた。中でも印象的だったのは、長ネギとうちわ、痰切り飴のセットである。
「なんでこの3点セットなんですかね」
「うーん、浅間神社は富士信仰だから、うちわは登山のときに熱くなるのを扇ぐ用じゃない?」
「痰切り飴は?」
「痰がからんで息ができなくならないように?」
「なるほど。じゃ、ネギは?」
「ね、ネギは……ほら、風邪のときに喉に貼ると鼻が通るというから」
「それ、痰切り飴とかぶってますよね」
 結局本当のところはわからないのであった。どなたか教えてください。
 聞けばお祭は6月30日と7月1日の2日にわたって行われるとか。われわれは偶然、いいときに訪れたのである。本当に地域のお祭で、お米屋さんが店先で臨時の売り台を出し、団子を並べていたりする。
「なんか、ますます観光旅行っぽくなってきました」
 喜ぶ長谷川さんなのであった。
 浅間神社の先には市役所がある。ここでくだんの特別住民票が取得できるはずなのだが、はて、どこの窓口で貰ったものだか。
「あそこに住民票交付の窓口がありますね」
「住民票って、本人以外でももらえるんだっけ」
「なんか身分証明書とか必要なんじゃないですか」
「じ、住基カードならあるけど。写真つきのやつ。これでいいかな」
 緊張しつつ窓口に行くと、女性の職員の方が「それは別の課なんですよ」と教えてくれた。観光課の扱いらしい。そりゃそうか。
「でも、洒落でもちゃんと普通の住民票出すところで扱ってほしかったですね」
「泉こなたさーん、とか呼ばれてね」
 観光課に行って交付してもらう。一通300円なのだが、きちんとクリアファイルに入れてくれるので、お得というべきであろう。数に限りがあるので、欲しい人は早めに行くこと。
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 市役所を出て元の街道に戻ると、そろそろ幸手宿ともお別れである。
 街道は右に大きく曲がるが、つきあたりに将軍家光や勅使の休憩所としても使われた聖福寺、県指定文化財の義賑窮餓之碑がある正福寺がある。その向かい側にあるのは、幸手一里塚跡だ。道が少しクランク状になっているのはいわゆる曲手(かなんて。大名行列同士がすれ違いやすくしたもの)か。そこから歩いていくとまた国道4号線と合流する。らき☆すた印の街灯ともそろそろお別れである。
 国道4号線に出たあたりから、道の右前方のほうには大きな木立の揃った並木が見え始める。これは自然のものではなく植樹されたもので、権現堂堤と呼ばれる場所だ。利根川は坂東太郎の異名をとり、時に暴れまわって大規模な水害を起こした。日光街道を歩いていると、処々でその水害の傷痕を見ることになる。権現堂堤もその治水のために築かれたもので、大正年間に堤の上に桜が植樹された。残念ながら戦争中に伐採されてしまったが、戦後になって再び木が植えられ、現在に至っているのである。桜の季節には、さぞかし綺麗に花を咲かせることであろう。
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 その先で明治天皇が東北巡行の際に命名したという行幸堤を国道4号は越える。道は次第にバイパス気味になっていって歩道が消失するのだが、日光街道はそこから左に逸れ、側道を歩くことになる。側道というか、正式名称があるのかもよくわからない生活道路だ大高利一郎『日光街道をあるく』(創英社/三省堂書店)には「道幅はかなり狭いが、左側に田圃が広がる中、東武鉄道が走っているのを見やりつつ行くと」と紹介されているが、今は左側はすっかり宅地造成されており、線路はほぼ見えなくなっている。大高がこの場所を歩いたころは道が途中で見えなくなって畑の中を横切ったりもしたらしいのだが、今はほぼ4号線に沿って歩くことになる(というか、住宅があるのでそこしか歩けないのである)。そのせいか、行幸堤を渡って600メートルほどのところにあるはずの外国府間の道標を見逃してしまった。
 道は細く、ときどき小規模なトンネルをくぐる。子供のころに母の郷里で歩いた道を思い出してなんとなく懐かしくなる。
 やがて見えてくるのが雷電神社だ。北関東は雷害が多い土地柄だからなのか、雷電の名がついた神社があちこちにある。さっき通り過ぎてきた幸手の市街地もあったはずだ。ここも建立は旧く、境内の地蔵堂は元禄年間のものだそうである。
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 その先の真光寺は真新しく、落雷で消失していたのが近年になって復活したものだという。隣に小高くなったところがあり、そこが小右衛門の一里塚である。上に建てられている弁財天堂はもともとあったものではなく、昭和の初めに移設された。ここが幸手宿と次の栗橋宿のちょうど中間地点になる。
 2015年になって再訪したときにはさらに先まで歩いて栗橋宿に到達したのだが、2014年6月のウォークではこのあたりで時間切れになり切り上げた。一里塚の先に工業団地入口という交差点があり、そこから権現堂川という呼び名がついている、利根川治水のための人工河川の岸に出ることができる。対岸は見学も受け入れているキューピー五霞工場で、大量の卵を一気に割る機械などを見ることができる。
 ここで記念撮影。この日は21000歩、約14kmを歩いたのでした。記憶があまり残っていないのだけど、たいへんに暑い日だったはずである(下の写真は2月に改めて歩いたときのもの)。
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 そこからまた1kmほど歩いて、東武日光線の南栗橋駅まで出る。せっかくなのでビールでも、と思ったのだが残念ながら開いている店はなかった。午後3時だから、それもそうだよね。仕方がないので、隣の栗橋駅まで出て、駅前の日本海庄やで打ち上げたのであった。
 あ、長谷川さんの写真1枚だけ残ってた! おつかれさまでーす。
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杉江松恋プロフィール

杉江松恋(すぎえまつこい) 1968年、東京都出身。慶應義塾大学卒。小説ジャンルを専門とする書評ライター。 東海道五十三次を踏破する『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫。藤田香織と共著)刊行を機に「日本全国を自分の足で歩いて周る」旅のおもしろさに開眼。著書に『読み出したら止まらない!海外ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。

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